標高2,172mの天空ロード!国道292号・志賀草津道路に眠る「草津街道」の歴史
日本の国道最高地点、標高2,172メートルを駆け抜ける絶景ロード、国道292号線・志賀草津道路。

今では多くのドライバーやライダーを魅了するこの現代の天空ロードですが……実はここ、かつては草鞋(わらじ)を履いた湯治客や、命がけで荷物を運ぶ牛馬が行き交った、険しき『草津街道』の跡だということをご存じでしょうか?
緑豊かな志賀高原の森を抜け、突如として目の前に現れる、白根山の荒涼とした火山の世界。この劇的な景色の移り変わりには、大地の壮大な営みと、過酷な山を越えようとした先人たちの驚くべき歴史が隠されています。
今回は、善光寺参りの旅人や名湯を求めた湯治客が歩んだ『草津街道』の知られざる歴史と、白根山のダイナミックなジオ(地球科学)のロマンへ、皆様をご案内します。
2. 日本の屋根を越える天空の道。国道292号線と「草津街道」のプロローグ
長野県中野市から志賀高原を抜け、群馬県草津町へと至る一般国道292号(志賀草津道路)。標高2,000mを超える稜線をゆくこの道は、日本屈指の山岳ドライブウェイとして知られています。
窓を開ければ、真夏でもひんやりとした高原の風が吹き抜け、眼下には壮大な雲海が広がることも珍しくありません。しかし、この美しく整備されたアスファルトの遥か下には、かつての人々が文字通り命がけで踏み固めた「草津街道」の記憶が眠っています。
3. 江戸・明治の旅人が命がけで越えた「草津街道」の歴史
善光寺参りと湯治客が行き交った、標高2,000mの修羅の道
江戸時代、天下の名湯としてその名を轟かせた上州の「草津温泉」。そして「一生に一度は」と人々が憧れた信州の「善光寺」。この二大聖地を結ぶ最短ルートが、草津街道(草津道)でした。
現代のように車も防寒具もない時代、旅人たちは草鞋(わらじ)を履き、自らの足で渋峠を越えていきました。天候が急変すれば一転して猛吹雪や濃霧に襲われる標高2,000m超の世界は、まさに命がけの旅路。それでも、病を癒やしたい湯治客や、信仰に燃える旅人の列が途切れることはありませんでした。
4. 徳川吉宗が江戸まで湯を運ばせたのは本当?
結論から言うと、これは「本当」です!
江戸時代、将軍のために温泉を樽に詰め、江戸城まで運ばせることを「献上湯(けんじょうゆ)」や「御汲上(おくみあげ)」と呼びました。

- 吉宗が作らせた「湯枠」が今も残る 草津温泉のシンボルである「湯畑」の中に、現在も四角い木枠が沈んでいます。これが「将軍御汲上の湯枠」です。享保11年(1726年)などに、8代将軍・徳川吉宗の命によってこの枠の中から温泉が汲み上げられ、樽詰めにして江戸城へ運ばれました。
- 下に置くことすら許されない超厳重輸送 将軍様に献上するお湯ですから、運ぶ道中、湯樽を地面に直置きすることは絶対に許されませんでした。専用の担ぎ棒を使い、昼夜を問わず交代で江戸まで一気に走ったといいます。草津から江戸までは約200キロ。まさに当時の「最高級デリバリー」でした。倹約で有名な吉宗も風呂の湯にはお金をかけていた様です。
- 実は家康も運ばせていた? 近年の文献調査で、実は吉宗よりはるか昔、初代将軍・徳川家康も豊臣秀吉に勧められて草津の湯を江戸城まで運ばせていたという記録が見つかっています。徳川将軍家は代々、草津の大ファンだったと言えます。家康は熱海温泉の湯を江戸城まで運ばせていた事でも有名です。
5. 巴御前も草津温泉に行ったというのは本当?
結論:史実としての確実な記録(正史)はありませんが、草津には切ない「落人(おちうど)伝説」が語り継がれています。

草津町が制定している、草津にゆかりのある歴史上の人物を讃える「草津に歩みし百人」の中にも、巴御前の名前がしっかりと刻まれています。
- 平家物語のヒロイン、傷心を癒やす旅 元暦元年(1184年)、木曾義仲(源義仲)が近江国(滋賀県)の粟津の戦いで討たれた後、その愛妾であり女武者でもあった巴御前は、義仲軍の残党とともに山奥へと逃れました。
- 白根山の麓へ 伝説によると、巴御前は逃避行の末、白根山の麓にある湯の池のほとりまでたどり着いたとされています。3月半ばの厳しい、しかし清々しい白根の自然が、最愛の義仲を亡くして悲しみに暮れる巴の心を優しく包み込んだ……と優雅に語り継がれています。
- 信州とのつながり 信州(木曽や北信)は木曾義仲・巴御前の大本拠地です。そこから峠を越えて上州(草津)側の白根山麓へ逃げ延びたというルートは、地理的にも「草津街道(渋峠越え)」の歴史に非常にマッチするロマンあふれる逸話です。
6. まだまだいる!草津の湯に入った(関わった)超有名人たち
① 源頼朝(鎌倉幕府の創始者)
建久4年(1193年)、浅間山の麓で盛大な「那須野の巻狩り(大規模な狩猟イベント)」を行った際、頼朝は草津まで足を伸ばして入湯したと伝えられています。湯畑のすぐ横にある「白旗源泉」は、頼朝が発見して入浴したという伝説からその名がついています。


② 豊臣秀次(秀吉の甥・関白)
文禄3年(1594年)、豊臣秀吉の甥である秀次が、病気療養(湯治)のために草津を訪れました。この時、同行した医師などが草津の強烈な酸性泉の効能を記録しており、戦国時代から「草津の湯は病に効く」と天下に知れ渡っていた証拠となっています。余談ですが秀次は謀反の嫌疑をかけられて高野山にて切腹となり最期を迎えますが、切腹の立会人は福島正則であり、彼は晩年所領を没収されて高山村に流されました。これも歴史のなせる因果という物でしょうか。

③ 前田利家(加賀百万石の祖)
慶長3年(1598年)、豊臣秀吉が亡くなった直前の激動の時代。隠居した前田利家は、健康を回復するために大軍勢(謡曲師や楽師などの芸能集団まで引き連れた豪華絢爛な一行)で草津へ湯治に向かいました。加賀百万石の圧倒的な財力を見せつけるエピソードです。

④ 小林一茶(信州を代表する俳人)
信州の誇る俳人・小林一茶も文化5年(1808年)に草津を訪れ、温泉に浸かっています。信州側から草津街道(渋峠・山田峠など)をトコトコと歩いて越えていった旅人の一人であり、彼らしい素朴な句を残しています。

7.信州中野から草津へ。歴史を分けた「東回り」と「西回り」
一口に草津街道と言っても、実は信州側には大きく分けて二つのルートが存在しました。
- 東回り(高山・山田温泉経由):中野から高山村を通り、山田温泉を経て山田峠、そして白根山へと至るルート。古くからの要路であり、険しいながらも最短で上州へ抜ける道として重宝されました。
- 西回り(湯田中・渋温泉経由):現在の国道292号に比較的近いルートで、湯田中温泉や渋温泉で旅の疲れを癒やしてから、横手山・渋峠の急坂に挑むルートです。
明治時代になると、これらを統合する形で「前橋街道」としての改修が進められ、馬車が通れるほどの幅員を持つ近代道路へと生まれ変わっていきました。
暮らしを支えた牛馬の背。命がけの物資輸送ルート
この街道は、単なる観光の道ではありませんでした。信州側からは米や菜種油、木材、麻などが上州へ運ばれ、上州側からは草津の特産品や日用品が信州へと運ばれました。 これらの物資を運んだのは、主に牛や馬です。冬になれば数メートルの雪に覆われる極寒の峠道で、人と動物が一体となり、地域の経済を文字通り背負って歩いていたのです。
8.信仰の山から活火山へ。白根山(草津白根山)が魅せるジオの衝撃
信仰の山から活火山へ。白根山(草津白根山)が魅せるジオの衝撃
古くは修験者の聖地。厳かな信仰を集めた白根山
現代でこそ「一大観光地」である白根山ですが、古くは近づくことすら畏れられる修験道の修行場でした。その荒涼とした山容と、噴き出す硫黄の煙は、まさに「地獄」そのもの。先人たちはこの厳しい自然に神仏を見出し、山の平穏を祈りながら険しい峰々を拝んだといいます。
地球の息吹を体感する「殺生河原」と、神秘の火口湖「湯釜」

信州側の深い緑に包まれた志賀高原から、渋峠を越えて群馬県側に入ると、風景は一変します。草木が一本も生えない白い岩肌、立ち込める強い硫黄の匂い――それが「殺生河原(せっしょうがわら)」です。大地のエネルギーがそのまま露出したかのような景観は、訪れる者に自然への畏怖を思い出させます。厳しい気候と火山活動の土壌により樹木が大きく育たない環境が見晴らしのよい景色を創り出したと言えます。
そして、白根山の象徴といえば火口湖「湯釜」です。世界有数の酸性度を誇るその水面は、エメラルドグリーンやターコイズブルーに輝き、まるで地球が流した涙のような神秘的な美しさを湛えています。
【旅の注意点】現代を生きる活火山としての通行規制情報
白根山は、現在も活発に活動を続ける「活火山」です。そのため、火山ガスの噴出状況や噴火警戒レベルの変動により、一部区間で駐停車禁止(窓を閉めての通過)や、夜間通行止めなどの規制が敷かれることがあります。 訪れる際は、必ず事前に最新の道路状況や気象庁の火山情報を確認することが、現代の旅人の必須マナーとなっています。
9.昭和から現代へ。日本最高地点「渋峠」の誕生とドライブの魅力
1965年開通。有料道路「志賀草津高原ルート」から国道へ
大正から昭和初期にかけて、一度は鉄道の開通やモータリゼーションの波に取り残され、衰退しかけた草津街道。しかし、戦後の高度経済成長期に「観光」という新たな命が吹き込まれます。 1965年(昭和40年)、有料道路「志賀草津高原ルート」として全線が開通。その後1970年に一般国道292号へ昇格、1992年には無料開放され、誰もが気軽にこの絶景を楽しめるようになりました。
標高2,172mのロマン。日本一高い場所にある国道の碑
この国道の最高峰に位置するのが「渋峠」です。標高2,172mは、日本の国道の中で最も標高が高い地点。峠には「日本国道最高地点碑」が立ち、眼下に広がる芳ヶ平(よしがだいら)湿原や、遠く関東平野までを見渡す大パノラマを楽しめます。 かつてここを息を切らせて歩いた旅人たちも、まさか未来にこれほど見事な道ができ、車や自転車で人が押し寄せるとは想像もしていなかったことでしょう。

エピローグ:歴史の足跡を感じながら、現代の天空ロードを走る
ただ景色が美しいから走る。それだけでも国道292号線は十分に素晴らしい道です。 しかし、ここがかつて信州と上州を結んだ「草津街道」であり、湯治客の願いや、物資を運ぶ人々の汗が染み込んだ歴史の道であることを知ると、車窓から見える景色はさらに深く、感慨深い物になります。
令和8年5月15日の気象庁の発表により噴火警戒レベルが「1」に引き下げられ、
その後、群馬県による再開通に向けての準備作業が整ったことから、
令和8年5月29日午後1時より、
国道292号志賀草津道路が24時間、全線通行可能となりました。
次のドライブでは、ぜひアクセルを踏み込む足を少しだけ緩め、この大自然と先人たちが織りなした歴史のロマンに、想いを馳せてみてはいかがでしょうか。
白根山の写真です。
筆者:tanaka kazuhiro
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