唯一無二の古墳群!

日本最大の積石塚!長野市松代「大室古墳群」奇妙山が育んだ石の文化をめぐる旅
長野県には数多くの古墳が存在しますが、日本全国でも他にはあまり見られない、極めて特殊な特徴を持つのが「大室古墳群(おおむろこふんぐん)」です。実際に現地を訪れて見えてきた、その独自の魅力と背後にある壮大な歴史のロマンをご紹介します。
1. 5つの支群からなる、山あいに密集した巨大古墳群
大室古墳群は、松代町の大室地区を中心に、約2.5km四方という限られた範囲に約500基もの古墳が密集する大規模な群集墳です。以下の5つの支群(エリア)で構成されています。
- 大室谷(おおむろだに) / 北山(きたやま):中心となるエリアで、この2つだけで450基が集中。敷地内には「大室古墳館」も併設されています。
- 霞城(かじょう)
- 北谷(きただに)
- 金井山(かないやま)
2. 全国屈指のシェア!「積石塚」と「合掌形石室」の圧倒的特徴
大室古墳群を語る上で欠かせないのが、土ではなく「石」を主役とした特異な造りです。
独自の景観を作る「積石塚(つみいしづか)」
一般的な古墳は土を盛って造られますが、積石塚は「石」を積み上げて造られます。全国的にも珍しいこの形式が、大室古墳群ではなんと全体の70〜80%を占めており、これほど大規模に集中している場所は他に類を見ません。

全国40例中26基がここに!「合掌形(がっしょうがた)石室」
板石を切妻屋根(三角形の屋根)のように斜めに組み合わせて造られた埋葬施設です。日本全国でわずか40例ほどしか見つかっていない大変貴重な構造ですが、そのうちの26基がここ大室古墳群で発見されています。
💡【プラス情報①】なぜ、この独特な形が生まれたのか?
積石塚や合掌形石室は、朝鮮半島(高句麗や百済など)の墓制と強い共通点を持っています。このことから、大室古墳群は古代に朝鮮半島から海を渡ってこの地に定着し、高度な文化をもたらした**「渡来人(とらいじん)集団」**が深く関わって造られたと考えられています。
3. 石材の秘密:背後にそびえる「奇妙山」と職人技
これほど大量の古墳を作るためには、気の遠くなるような量の石が必要です。これらはすべて、古墳群の背後にそびえる「奇妙山(標高1,099m)」から調達されたと考えられています。
💡【プラス情報②】なぜ奇妙山の石だったのか?
奇妙山を構成する岩石(輝石安山岩など)は、一定の方向に沿って板状に割れやすい性質(節理)を持っています。当時の人々はこの山の地質特性を見抜き、合掌形石室に最適な「巨大な板石」を切り出して麓まで運びました。自然の特性を活かし、正確に石を加工して組み上げた当時の人々の技術力の高さには、本当に感心させられます。

4. 時代とともに移り変わる古墳のスタイル
古墳群を詳しく見ていくと、時代によって埋葬のスタイルが変化していったことが分かります。
- 5世紀中頃〜(前期〜中期)
合掌形石室や箱形石棺、竪穴式石室を用いた「積石塚」が盛んに造られました。しかし、この特徴的なスタイルは「241号墳」を最後に終わりを迎えます。 - 6世紀後半〜7世紀末(後期)
スタイルがガラリと変わり、石の部屋に横から出入りできる「横穴式石室」へと移行。墳丘も石だけではなく、土と石を混ぜた「土石混合」の形になり、7世紀末まで造り続けられました。
5. 古代のロマン:彼らはどこに暮らしていたのか?
これほど大量の古墳(お墓)があるにもかかわらず、不思議なことに古墳群のすぐ近くからは当時の住居跡が見つかっていません。
そのため、被葬者となった人々は古墳群の下、千曲川(ちくまがわ)の周辺の平地に暮らしていたと考えられています。
💡【プラス情報③】千曲川のほとりで「馬」を育てていた?
大室古墳群からは、粘土で作られた馬の人形(土馬)や、豪華な馬具が出土しています。また、平安時代の記録にはこの地域に朝廷直轄の馬の牧場(官牧・大室牧)があったことが記されており、彼らは千曲川の豊かな利水を活かして、当時の国家最先端の「馬の牧畜技術」を担っていた集団だったのではないかと推測されています。
訪ねてみてのまとめ
山肌に無数の石の塚が並ぶ光景は、一歩足を踏み入れるとまるで異国に迷い込んだかのような神秘的な雰囲気が漂っています。背後にそびえる奇妙山を見上げ、近くを流れる千曲川を眺めながら、かつてこの地で石を切り出し、馬を育て、独自の文化を築いた人々の暮らしを垣間見る事の出来る、長野県が世界に誇る隠れた名史跡です。より詳しく大室古墳群を知りたい方はこちら公園の一番上に位置する資料館を訪ねる事をおすすめします。

こちら地図と展示館の案内の情報です。

筆者:tanaka kazuhiro
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