北条時行とは
北条時行(ほうじょう ときゆき)は、鎌倉幕府最後の得宗(実質的な最高権力者)である北条高時の次男です。
- 出自: 鎌倉幕府の執権を世襲した北条氏の嫡流、得宗家に生まれます。
- 鎌倉幕府の滅亡: 1333年(元弘3年)、父・高時が新田義貞の鎌倉攻めにより自害し、鎌倉幕府が滅亡。時行は幼くして諏訪頼重の助けを得て、辛くも鎌倉を脱出、信濃国・諏訪に落延び諏訪神党にかくまわれる。
- 中先代の乱: 逃亡先の信濃国(現在の長野県)で挙兵し、1335年(建武2年)に一時的に鎌倉を奪還しました。この反乱は、父の代から鎌倉を支配していた足利尊氏の弟・直義(ただよし)を打ち破る快挙であり、中先代の乱と呼ばれます。
- その後の生涯: 鎌倉を奪還するも、足利尊氏の反撃にあって敗走。その後は南朝方として各地を転戦しましたが、最終的に捕らえられ処刑されました。
供養塔の場所
北条時行の供養塔とされる場所は複数ありますが、特に歴史や伝説で知られるのは長野県大鹿村にあるものです。
- 長野県大鹿村(おおかむら): 幕府滅亡後、時行が潜伏したとされる信濃国にあり、桶谷地区に供養塔があります。ここは、時行が追手から逃れ、再起を図った地のひとつとして、地元で大切にされています。
🎨 漫画『逃げ上手の若君』との関連
松井優征氏による漫画『逃げ上手の若君』は、史実の北条時行を主人公に据えた作品で、時行の知名度を飛躍的に高めました。
作品のテーマ
- 「逃げる」ことの肯定: 武士の美徳とされた「潔い死」とは対照的に、主人公・時行は生き延びて反撃の機会を窺うことを選びます。作中では、時行の**「逃げる」能力**が、後の鎌倉奪還の原動力として描かれています。
- 史実の追体験: 鎌倉幕府滅亡から中先代の乱、そしてその後の南北朝の動乱という歴史の流れを、時行の視点を通して生き生きと描いています。
主な登場人物(時行を支える人々)
- 諏訪頼重(すわ よりしげ): 信濃国の武将で、時行の師・保護者として登場。彼の神力や知略が時行の「逃亡」と「再起」を助けます。
- 雫(しずく)、弧次郎(こじろう)など: 時行と共に逃避行を続ける仲間たち。
巡礼地としての鎌倉・信濃
作品の人気により、北条時行ゆかりの地、特に鎌倉や**信濃(長野)がファンによる「聖地巡礼」**の対象となっています。
- 鎌倉: 幕府滅亡の地である東勝寺跡、時行の父・高時を弔う宝戒寺など、作中に登場する史跡が注目を集めています。
- 供養塔(大鹿村など): 時行が実際に潜伏したとされる場所も、歴史ファンや作品ファンにとって重要な訪問地となっています。
🏔️ 大鹿村・北条時行供養塔の詳細情報
📍 所在地と伝説の背景
- 場所: 長野県下伊那郡大鹿村 桶谷(おけや)地区
- 歴史的背景: 鎌倉幕府滅亡後、北条時行は諏訪氏(諏訪頼重など)の手助けを受けて信濃国(現在の長野県)各地を潜伏して回りました。大鹿村は、南朝方の勢力が強く、時行や後醍醐天皇の皇子・宗良親王といった南朝方の関係者が身を寄せた地とされています。
- 供養塔の起源: 処刑された時行を忍び、地元関係者や南朝を支持した人々によって建立されたものと推測されています。「実は処刑されたのは影武者で、本人は大鹿村など信濃に生き延びた」という地元の逸話もあります。
供養塔の様子
- 供養塔は山中の比較的静かで自然に囲まれた場所にひっそりと佇んでおり、時行が逃亡し再起を図った若き日の苦難を偲ばせる雰囲気があります。
- 供養塔の形式や形状は、一般的な五輪塔や宝篋印塔などではなく、この地域の伝承に根ざした形である可能性もあります。
⚠️ 「聖地巡礼」の注意点
漫画『逃げ上手の若君』の大ヒットにより、この供養塔への訪問者(聖地巡礼者)が激増しました。そのため、マナーと安全について配慮する必要があります。
1. 土地は「私有地」であること
- 供養塔周辺や遊歩道以外の土地は私有地です。地権者の方々への配慮と感謝の気持ちを忘れず、指定された遊歩道から外れたり、敷地内を荒らしたりしないよう呼びかけましょう。
2. 「クマ」対策と山道の危険性
- 供養塔は山奥に位置しており、クマの目撃情報が頻繁にあります。訪れる際には、クマ避けの鈴やラジオなど、音の出るものを持参するよう注意喚起が必要です。
- 遊歩道は整備されましたが、山道であり、一部水が流れている箇所や急斜面もあります。登山靴など山歩きに適した服装を推奨しましょう。
3. 大鹿村による公式な対応
- 観光客増加に伴い、大鹿村役場や地元関係者の尽力により、供養塔までの遊歩道が整備・開放されました(時期や状況は村の公式サイトで確認が必要です)。
- 駐車スペースも指定されています。緊急車両の通行を妨げたり、ゲート付近に長時間駐車したりしないよう、村の指示を順守して見学しましょう。





