長野県下伊那郡大鹿村にある大西山崩壊礫保存園は、大西山崩壊(通称:三六災害)の凄まじい爪痕を後世に伝えるために設けられた貴重な場所です。

1. 大西山崩壊(三六災害)の概要
- 発生時期: 昭和36年(1961年)6月29日 午前9時10分頃
- 原因: 梅雨前線による集中豪雨
- 場所: 長野県下伊那郡大鹿村と豊丘村の境にある大西山(標高1,741.2m)の北東山麓。
- 被害の状況:
- 集中豪雨により山体(東斜面)が大規模に崩壊しました。
- 崩壊は高さ約450m、幅約500m、厚さ約15mにも及ぶ岩塊が、屏風が倒れるように崩れ落ちたと言われています。
- 崩落した大量の土砂や石が小渋川をせき止め、川の増水した土砂と一緒になって対岸の集落を山津波となって直撃しました。この山津波の破壊力は凄まじく風圧で自動車が吹き飛んだという記録があります。
- 死者42名(資料により55名とするものもあります)、家屋全壊40戸など、甚大な被害をもたらしました。この災害は**「三六(さぶろく)災害」**とも呼ばれています。
- 地質的要因: 大西山は、日本最大の断層である中央構造線沿いに位置しており、崩壊した部分は特に破砕されやすい**鹿塩マイロナイト(変形した岩石)**で構成されていたことが、大規模崩壊の一因とされています。

2. 大西山崩壊礫保存園について
- 目的: 昭和36年(1961年)の集中豪雨で大規模に崩落した岩塊を、当時の堆積状況のまま保存し、災害の記憶を後世に伝え、犠牲者の供養と村の再建を願って整備されました。
- 保存されているもの: 崩壊によって流れ落ちた**岩石や礫(れき)**がそのままの形で積もった様子が保存されており、崩落の勢いの凄まじさを感じることができます。
- 現在の状況: 保存園がある一帯は、崩落した岩塊が積み重なってできた台地であり、現在は大西公園として緑化が進められています。
- 見どころ:
- 崩壊した岩石の塊や当時の解説パネル。
- 崩壊跡地の地質(マイロナイトなど)についての情報。
- 近くには、中央構造線に関する展示がある中央構造線博物館もあります。
大西山崩壊礫保存園は、自然災害の恐ろしさと、それに向き合ってきた人々の歴史を知る上で非常に重要な場所です。






