序章:諏訪の地と信仰の深淵

信濃国(現在の長野県)に位置する諏訪は、日本でも有数の歴史を持つ地域である。この地には、全国に1万社以上もの分社を持つ諏訪大社の総本社が鎮座しており、その歴史は「古事記」に記された国譲り神話にまで遡るとされる、我が国で最も古い神社の一つとして知られている 。古くから諏訪大神は 「お諏訪さま」と親しまれ、雨や風、水の守り神として、また龍神信仰とも結びつき、広く崇敬を   集めてきた 。


諏訪の地が「最古級の神社」であり、全国の「総本社」としての地位を確立した背景には、       単に長い歴史があるという事実以上の意味合いが存在する。

この地域は旧石器時代から本州最大の黒曜石の産地として知られ、数万年前からその鉱山が開発されてきた 。採掘された黒曜石は、縄文時代中期には三内丸山遺跡や大阪の遺跡からも発見されるほど   広範囲に流通し、縄文後期には東日本全域の黒曜石供給の大部分を占めていたと推測されている 。

この古代からの黒曜石の交易は、諏訪を各地との交流が活発に行われる情報と技術の要衝へと発展  させた。このような物理的な流通ネットワークが、後に諏訪信仰が全国へと広がるための基盤を形成し、その中心地としての諏訪の地位を確固たるものにしたと考えられる。古代の交易が、精神的な信仰の流通をも促進したという歴史的な繋がりがここに見出される。


本レポートでは、洲羽(諏訪)の地がどのようにしてその歴史と信仰を築き上げてきたのかを、主要な神々【大国主命(オオクニヌシ)奴奈川姫(ヌナカワヒメ)(建御名方神)タケミナカタノカミ、  武御雷神(タケミカヅチ)】の神話から、現人神「大祝」(オオホウリ)の制度、そして武家「諏訪氏」の興隆と変遷に至るまで、多角的に探求する。諏訪の歴史は、以下に示す時代区分によって     特徴づけられる。

奴奈川姫像

時代区分 諏訪地域における主要な出来事や特徴

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第一章:神話に紡がれる諏訪の起源

諏訪の歴史は、日本神話の重要なエピソードである国譲り神話と深く結びついている。この神話は、  諏訪の主祭神である建御名方神(タケミナカタノカミ)がどのようにしてこの地にたどり着き、    その後の諏訪信仰の基盤を築いたかを物語る。

武御名方神(タケミナカタノカミ) Wikipediaより転載

国譲り神話と建御名方神の降臨

大国主命と高志の国

国譲り神話の中心人物である大国主命(オオクニヌシノミコト)は、出雲の国造りを成し遂げた神として知られている 5。その大国主命が、高志の国(コシノクニ)(現在の新潟県糸魚川市周辺)の姫である奴奈川姫(ヌナカワヒメ)と縁を結んだとされる 6。奴奈川姫は、古代において貴重な資源であった 翡翠の産地を支配していたと伝えられている 7。

翡翠 勾玉


大国主命が奴奈川姫との婚姻を通じて「翡翠の産地を手に入れた」という記述は 7、単なる神話上の 出来事以上の意味を持つ。これは、古代における部族間の同盟や支配関係の構築において、重要な資源の獲得が極めて大きな動機となっていた可能性を示唆している。神話が古代の政治的・経済的現実を 反映していると解釈すると、婚姻が領土や資源の支配権拡大の手段として用いられたという、より深い歴史的背景が浮かび上がる。

奴奈川姫との縁と建御名方神の誕生

大国主命と奴奈川姫7の間に生まれたのが、後の建御名方神となる「イズモのタケル」である 。タケルは幼少期を母、奴奈川姫と共に小谷(現在の長野県白馬村)で過ごし、その後、母の叔父にあたる  安曇族のホタカミに預けられ、武術や呪術の修行に励んだと伝えられている 。

小谷 糸魚川木地屋の里 ホームページより転載


建御名方神が幼少期を母の元で過ごした後、「叔父である安曇族のホタカミに預けられ、武術や呪術の 修行に入った」という記述は 、単なる系譜の紹介に留まらない。これは、古代において有力な氏族 (出雲、高志、安曇)が婚姻を通じて血縁関係を築き、さらに子弟の教育を通じて技術や文化、そして政治的影響力を相互に交換し、継承していた可能性を示唆している。安曇族が海の民であり、武術や 呪術に長けていたとすれば、タケミナカタの武神としての性格形成に大きな影響を与えたと考えられる。これは、神話が古代社会における教育システムや氏族間の連携構造を反映しているという、    より深い理解へと繋がる。

武御雷神との力比べと諏訪への封印

古事記の国譲り神話において、天照大神が差し向けた武御雷神(タケミカヅチノカミ)に対し、    大国主命の息子である建御名方神は抵抗し、力比べを行った 1。この力比べで建御名方神は武御雷神に敗れ、科野国(信濃国)の洲羽(諏訪)の地まで逃れた後、そこで降伏し、この地に封じ込められたとされる 1。この力比べが相撲の起源であるという伝承も存在する 。

諏訪湖


建御名方神が国譲り神話において戦いに負けて諏訪に封じられたにもかかわらず、 後に「日本三軍神」の一人に数えられ、武田信玄をはじめとする戦国武将に深く崇敬されたという事実は 、神話の伝承  以上の意味を持つ。これは、信仰が時代や社会の要請に応じて解釈を変え、政治的・軍事的に利用された典型的な事例である。敗北の物語が、逆境に屈しない強さや、武勇の象徴へと昇華された背景には、武士階級の台頭と、彼らが精神的な支柱として求める神の姿があったと考えられる。これは信仰が固定的なものではなく、社会の変遷と共にその意味合いを変えていくという歴史的な流れを示している。


神名 系譜 主要な役割/神徳 諏訪との関係性
大国主命 (オオクニヌシノミコト) 須佐之男命の子孫 国造りの神、縁結びの神 建御名方神の父。国譲り神話の中心人物。 5


奴奈川姫(ヌナカワヒメ) 高志の国の姫 翡翠の地の支配者 建御名方神の母。婚姻により大国主命に翡翠の地をもたらす。 7


建御名方神( タケミナカタノカミ) 大国主命と奴奈川姫(ヌナカワヒメ)の子 武勇の神、軍神、農業・開拓の神、水の守護神 諏訪大社の主祭神。    国譲り神話で武御雷神に敗れ諏訪に封じられる。 1


武御雷神 (タケミカヅチノカミ) 建御名方神と力比べをした神 武の神、雷神 国譲り神話において建御名方神を諏訪に追いやった。 1


八坂刀売神 (ヤサカトメノカミ) ホタカミの娘 建御名方神の妃神 諏訪大社の祭神(上社前宮、下社春宮・秋宮)。 2


洩矢神 (モレヤノカミ) 諏訪の土着神 ミシャグジ信仰の中心 建御名方神に敗れるも、その末裔が神長官として諏訪信仰を支える。 11
Table 1: 諏訪の主要な神々とその系譜・役割


諏訪の土着信仰と建御名方神の融合

縄文・弥生時代の諏訪と黒曜石文化

諏訪は、日本列島における人類の活動の黎明期から、その地の利と資源によって独自の文化を育んで きた。本州最大の黒曜石産地として、数万年前から黒曜石の採掘と交易が盛んに行われ、東日本全域との交流を通じて情報と技術が集まる要所であった 。縄文時代中期には、八ヶ岳山麓が縄文文化の中心地として栄え、「縄文のビーナス」や「仮面の女神」といった国宝級の土偶が出土している 。これらの土偶は安産や子孫繁栄を願う祭りや儀式で用いられ、当時の人々の強い信仰心を示している 。     弥生時代には、黒曜石の需要がさらに高まる中で、縄文文化と渡来文化が融合していったと考えられている 。

まるごと信州黒曜石ガイドブック

洩矢神とミシャグジ信仰

諏訪の地には古くから、洩矢神(モレヤ)が信仰を集めており、ミシャグジ神と同一視されることも ある土着の神であった 11。諏訪の神話では、外来の神であるタケミナカタノカミが藤の蔓を掲げて侵攻してきたのに対し、この地を支配していたモレヤの一族は鉄の鉤を掲げて戦ったと伝えられている 。

これは、鉄器をもたらしたのが洩矢族であったことを示唆している。洩矢族はミシャグジ神の総本社を名乗り、その末裔とされる守矢氏が、諏訪大社上社の筆頭神官である神長官を代々務めてきた 。


タケミナカタノカミが諏訪に封じ込められた後、既存の洩矢神やミシャグジ信仰と「滅ぼされたわけではなく融合し、独自の信仰形態が出来上がった」という記述は 3、単なる外来勢力による征服ではなくより複雑な文化変容を示している。これは、ヤマト王権の神話体系が地方の強力な土着信仰を完全に排除するのではなく、その核となる要素を取り込み、新たな形で共存する道を選んだことを意味する。

守矢氏が敗者でありながら神官としての地位を確立し、大祝の神格を支えたという事実は 、この融合が単なる上書きではなく、土着の力が外来の神話に新たな深みを与えたことを示している。これは、   日本の神話形成における地域性と中央集権性の相互作用という、より広範なテーマを浮き彫りにする ものである。